塚田 文アナウンサー(元山口放送)の卒業を見届けてきた

塚田 文(つかだ あや)アナはKRY山口放送を退職されたということで、この記事を書いたもののしばらくアップするのを迷っていたのだけど、先日日テレ学院系列のニチエンプロダクション(元日テレの松本志のぶアナなどが所属している事務所)にフリーアナウンサーとして無事に所属された事が確認できたので今回アップすることにしました。

私はKRYの脇田アナのファンですが、ことラジオというか喋りに至っては塚田アナは大のお気に入りでした。塚田アナも脇田アナに負けじ劣らずの美人ですが、何より今までの山口県の女子アナ、特にKRYには居ないタイプでしたね。毒舌、クール、時には悪態さえつきながらさばさばしたキャラクターと相まって気配りとか優しさが見え隠れするトークは独特でリスナーの人気も高いアナウンサーさんであります。

その塚田アナが山口放送を卒業されると言うことで、去る3月28日、その最後の放送であるKRYラジオ「さだとあ~やのラジKING」(土曜16:00~17:00)の塚田アナ担当最終日を見届けに山口放送本社へ行って来ました。

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塚田 文アナウンサーは埼玉県狭山市出身。2005年に山口放送に入社されましたが、それ以前は生島ヒロシ主宰の生島企画室に所属されていたフリーアナウンサーで主に情報番組のレポーター等をされていました。私もCSの「J SKY SPORTS」の野球中継ベンチレポーターやTBSの「ジャスト」(「王様のブランチ」だとずっと思っていたら今回塚田さんご本人に訂正されました(^^;)のレポーターをされていたのを記憶していて、山口放送の番組で初めてお見かけした時に「あれ?あのレポーターやってた人と同一人物なんだろうか?」と不思議に思っていた時期がありました。さらにその前には西武ライオンズのマスコットガールなんかもやられていたようです。

さて、早朝からの仕事が終わって眠気と戦いながら急いで山口放送へ。途中時間が無くて慌ただしく通りに面したお店で差し入れとして「チロリアン」を買う。我ながら自分のセレクトに「なんで山口でチロリアンやねん(注:チロリアンは福岡の銘菓)」とツッコミ入れる。食べ物を差し入れてもまぁ、安全上いろいろあるので実際食べてもらえるかはわからないけど、こういうのは気持ちだから受け取ってもらえればそれで良い訳で。そうこうしながらラジオ第一スタジオに着いたのは本番15分前。放送局とは言え、いくつかの部署を除いて土曜日はお休みなので社内はひっそりとしており、見学者は私1人。

放送が始まるまで、スタジオ前のベンチに座っていたら、サブコンからディレクターさんが出てこられて声をかけてくれました。「○○(←私のラジオネームのひとつ)と申します」と伝えた所、「ああ、今日メッセージいただいてる方ですね」とディレクターさん。そう、この番組は私にとって自分の投稿を第1回放送の最初のリスナー投稿として読んでもらった思い出の番組。なのでこの日も仕事の休憩時間にメールで投稿していたのです。もっとも時間帯が土曜日の夕方なので土曜がお休みとは限らない私はあまり生では聴けなかったのですが・・・。しかし、このやんちゃな番組にしては物腰穏やかなディレクターさんだなぁ。ちなみにこの番組、パーソナリティ二人(福谷貞夫アナと塚田アナ)とディレクターさん1人のたった3人で放送してるんですよね。ローカルにはありがちといえばそうですけど。

16時になり、いよいよ放送開始。この日はセンバツの南陽工業の試合が同時間に行われていてその話題からスタート。いつもどうりのリラックスした緩くかつ熱いトークが展開していきます。と、ここで私のメッセージを最初に紹介してくれました。しかも今日見学に来てると言うことでスタジオ外の私に放送で触れてくれました。嬉しくて思わずスタジオに手を振る私。ディレクターさん、気を遣っていただいてありがとうございました。

放送が佳境に入るともう1人ファンの方が来られました。その方と塚田アナの話を交わしながら時間を過ごしていると、スタジオ内はお祝いムード。この番組の前に15時からやってる番組を終えて来た河野康子アナウンサーも交えて賑やかに放送が終了しました。

番組が終わってからもスタジオ内では記念撮影が続いていました。河野アナと塚田アナは仕事を超えて仲が良いようで名残惜しそうに何枚も記念写真を撮られてました。塚田アナ最終日と言うこともあってスポンサーさんなんかも挨拶に来られて賑やかでした。福谷アナが気を遣って私たちの所に来られて、「今塚田はあちこち挨拶したりしてますからもう少し待ってて下さいね」と声をかけてくれました。「来週からパートナーは小野口奈々アナなんですね。どうなりそうですか」とお聞きしてみたら「まあ、まだ2年目の人ですがキャラ的にはいいものがありますので長い目でおつき合い下されば」との事でした。

それらが一段落してようやくスタジオの外の私たちの所へ塚田アナが「お待たせしてすみません~」と来てくださいました。この後18時からのニュースも担当されるため短い時間しかないのですが、差し入れをお渡しして若干お話しさせていただけました。リスナー、視聴者やはりみんな気になっていたのは今後どうされるのかなと言うことでしょう。私もそうでしたので「関東に帰られるんですか?」と質問してみたところ、「そうです、とりあえず実家に帰ってそれからですね」という事でした。一つ所にじっとして居られるタイプの方ではないとお見受けしましたので、また新しいフィールドを見つけに一歩踏み出されるのでしょうね。最後に握手してもらってお別れしました。

ホントに山口県には居ないタイプの方なのであのトークが聞けなくなるのがとても寂しいのですが、今後ももしかして全国ネットでお目にかかれることがあるかも知れませんので楽しみにしていようと思います。

塚田さんお疲れ様でした。山口はいい所でしたでしょうか?。楽しい放送をありがとうございました。ぜひ全国ネットの仕事にも出て下さいね。

塚田アナのトークが聴いてみたい方は、山口放送のHPでポッドキャスト版の「ラジKING」が聴けますのでぜひそちらの方で。

6月12日追記

「塚田文」の詮索でこの記事に着く方が多い様なので、5月6日と6月12日の記事に今季決まった出演で確認が取れたものを載せてます。そちらの方もぜひご覧になってくださいね。

さよならフィルムカメラ(キャノンA-1の巻)

世がデジカメ時代になって私自身も用途によってはデジカメを使ってきましたが、やはりここ一番という時には頑なにフィルムカメラに拘ってきました。

しかしやはり時代の波には勝てないというか、行きつけのカメラ量販店がついにこの正月明けからフィルム売り場を大幅に縮小。もはやフィルムの違いによる描写の違いを楽しもうにもフィルムの選択肢そのものが減少してしまってはどうにもなりません。かつてはフィルム売り場で隆盛を極めていた黄色いパッケージのコダックは見る影もなく、コニカは写真を廃業&会社自体が無くなってしまった。唯一フジフィルムだけが頑張っているものの、商品ラインナップは大幅に縮小、最近は化粧品を作っている始末。

そんな状況を踏まえてついに手持ちのカメラを全てデジタルに置き換える決心をしました。デジカメの性能も上がって、もはやアマチュアの撮影に於いては全くフィルムと遜色無いレベルになってきている事もまた一因です。

広い家に住んでる訳では無いので一部を除いて処分(今更売れもしませんが)することになりますが、今まで私の道具として頑張ってくれたカメラたちを記念にここに記しておこうと思います。

てな訳でまずは私の一番の愛機であったこのカメラから。


キャノンA-1。1978年発売。当時最も電子化の最先端を走っていたカメラで、未来的な物が大好きだった私の心を捕らえました。5つのAE(自動露出)モードを搭載。別売のパワーワインダーを使えば、秒間2コマの連写も可能。さらに別売のモータードライブを使えば秒間5コマの連写が可能でした(買えなかったけど)。一緒に写っているのはパワーワインダーA-2(本体の下)、レンズはFDレンズで50ミリF1.4と70-150ミリF3.5です(他にも持っていますが)。買ったのは1979年ですが、ストラップ(当時、キャノンでは「スリング」と言っていました。本来はライフル銃なんかをぶら下げるベルトの事ですね)も当時の物です。

私が一番最初に使ったカメラは家にあった「オリンパスペンEE-S」でした。ハーフサイズのベストセラーカメラで、3ヶ月に12枚撮り1本だけ(ハーフなので24枚撮れる)を使うことが許されました。当時まだまだ写真は高価な物だったのです。(当時カラーのE版が1枚80円だった)。だから1枚1枚、何を写すかで真剣に悩んだものでした。

そうこうしてるとやはり一眼レフに憧れます。周りの裕福な家の友人の何人かが買ってもらったりするとそれこそ羨望の眼差しで見ていました。が、うちはいろんな事情があってとてもおねだりなんか出来ません。そうするとある日父親の方からオリンパスペンがかなりくたびれた事もあって「家の行事は必ず撮ること」を条件に買ってもいいとお許しが出ました。もう嬉しかったですね。

本体と50ミリレンズとストロボ。基本かつ最小限の構成ですが、これを手にしたおかげで高校は念願の写真部にも入れました。それからはもうどこに行くにも一緒です。カラーは高かった&自分で現像・焼き付け出来無いので、もっぱらモノクロの「ネオパンSS」か「トライX」を詰め込んであちこち飛び回りました。ですので、自分の高校時代の写真は圧倒的にモノクロが多く残っています。


リアビュー。裏蓋に付いているのはフィルムの箱の蓋の部分を切り取って入れるための物。今何のフィルムを装填しているかを覚えておくためのものでした。接眼レンズにはアイピースシャッターなんかも付いて芸が細かかった。

社会人になってからは少しずつレンズやオプションを買いそろえ(と言っても予算が無いのでもっぱら銀座のスキヤカメラで中古を買っていた)、会社でも社内報のカメラマンなんかをやりました。で、後になって気づいたのですが、私はもっぱらファインダーのこっち側でシャッター切ってる人だったので、自分の青春時代の写真がほとんど残っていません。旅行なんかでももっぱら撮影係だったもんなぁ。一眼レフじゃまず「たまには撮ってあげようか?」って言われないし。


巻き上げレバーがフィルムカメラの証。いまだに目をつむっていても操作できるくらい使い込んだカメラです。(めをつむってちゃ撮影は出来ませんけどね)。もちろんピント合わせもマニュアル。今でもオートフォーカスには負けるけどピント合わせは早い自信はあります。FDレンズの派手めでメリハリのある発色も好きでした。

2002年に現役を引退させるまで23年間、本当に私の人生を記録し続けてくれた、常に私と共にあったカメラでした。今でも完全に動作するのですが、完全に壊れないうちに記念品として置いておこうと引退させたものです。この後は時代の流れもあり、オートフォーカスのニコンF80に乗り換えました。


当時、キャノンの通販で売っていたA-1ユーザーのバイブル「スーパーシューティングマニュアル」。どうしてもニコンに今ひとつ評判が追いつけなかったキャノンがニコンと肩を並べあえるまでになったのがこの時代のF-1,AE-1,A-1といったシリーズでした。これらは名機と言って間違いないと思います。

もう現役として使う事はありませんが、このカメラだけは大切に磨いて手元に置いておこうと思います。被写体になってくれたものすごく多くの人たちとの思い出と共にある大切な記念品ですね。

たまには桜の鑑賞でもしてみた

すごく慌ただしい年度末が終わったのですが、まだ異動の処遇が決まらないので今ひとつ落ち着かない私です。早く決まって欲しいところです。

例年だと忙しさにかまけて花見どころかほとんど桜をじっくり観賞する余裕もないまま花の時期を終わってしまうのですが、今年はちょっとがんばって桜の観賞と洒落込んでみました。

といってもたまの休日となるとやれ洗濯だの掃除だのと決して遊んでばかりもいられないので、そう近くもないのだけれど、仕事の合間に寄れる所&休日の用事を済ませるついでに寄れる所ということで宇部・山陽小野田方面に出かけて来ました。

写真はニコンD70とP6000で撮影したものです。

まずは4月2日、一応「桜の名所100選」の一つ。宇部市の常磐公園へ。


夕暮れ時だったのですが、この日はほぼ満開でした。


桜は満開とはいえ、この日の夕刻は結構冷え込んでいて寒かったので、猿山のお猿さん達は身を寄せ合って寒さをしのいでいました。


園内はまさに桜の天井。夕日に照らされる花が綺麗でした。

次は4月8日、山陽小野田市の若山公園へ。花は散り始めた所でした。


ここは小さな公園ですが、桜の本数はそこそこあります。が、花見客用に夜間照明のぼんぼりが木にたくさん付けてあって写真を撮るには今ひとつでした。

次は同じく山陽小野田市の竜王山公園に行く予定だったのですが、途中の須恵健康公園というところの桜が満開だったのでちょっと寄り道。


いかにも市民憩いの場といった感じの公園。一輪車を練習してる女の子がいたりと静かな落ち着ける公園でした。少し休憩の後竜王山公園へ。

竜王山公園は日本の夜景100選にも選ばれていたと思うのですが、桜も約10,000本あるそうです。




この日は陽気も良く、ここらを根城にしてる猫たちもまったりモードでした。

花を愛でるなんざガラでは無いのですが、やはり桜というのは心に染みて来るというかやっぱり自分も日本人だなぁと感じさせてくれる不思議な花ですね。なんとなく落ち着いた時間を過ごせたような気がします。実際にはこの後帰って洗濯物取り込んだりとかの現実が待ってるんですけどね(笑)

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Author:缶コーラ
山口県在住。ローカルなネタを含めて
何でもアリで書いていきたいと思います。

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